舛添都知事へのバッシングが喧しい。
その有り様は、猪瀬前都知事選がその地位を追われた姿に酷似している。
そもそも、実力も人望も持ち合わせがなかった人物が、東京都知事の地位を与えられ、不都合が生じれば首をすげ替える。
独裁国家なら、銃殺にでもするところ、たてまえとしてであれ、民主国家はそのような残虐な真似はしない。が、実質的にどう違うのか?恥の多い形で失脚させられた政治家は、その政治生命は絶たれることになるだろう。
もちろん、人品卑しき者であること自体は、自らの責任であり、身から出た錆に違いない。しかしながら、このような有様を許していること自体、日本の、東京の、民主主義が真の意味で実現されていないことの証左であろう。
私が東京を変えるは、石原慎太郎元知事が、都政を投げ出した2012年に、市民の力で都知事を生み出すという流れを受けて、結成された。
このときに、「脱原発」も含めた、都政を都民に取り戻す、民主主義を取り戻すための統一候補として、宇都宮けんじ氏を応援した。
そして、2014年、猪瀬前知事が風前のともしびとなって、ほぼ辞任が確実となったときに、いち早く、宇都宮けんじ氏に対し、再び立候補のお願いをした。
残念なことに、宇都宮氏は共産党であるという熱心な報道があり、言わば野党統一候補であった宇都宮氏に対し、野党統一候補ではないという印象付けが行われ、この流れにまんまと乗せられる形で、細川氏が擁立されることになった。
文字通り、脱原発候補は二人誕生し、結果は、ご承知のとおりである。
この轍を2度と踏むことはできない。
その思いは、細川氏を応援した本来は志を同じくする脱原発の皆と同じであろう。
私が東京を変えるは、呼びかける。
友よ、再び宇都宮健児氏の元に結集しよう!
付言するに、この対立は、どちらかがどちらかに謝罪するという性質のものではないだろう。市民派がある一定程度の力を持とうとするときに、その分断を図る手練手管に通じた人たちが存在することは間違いのない事実である。わたしたちは、仲間内の争いを止め、なにをおいても賢くあらねばならない。
そして、今、安保法制の成立を受け、立憲主義と平和主義が危機に瀕する中にあって、わたしたちが武器を磨く者でないことを先達に感謝する。
わたしたちは不完全ながらも民主主義を手にしている。わたしたちが武器ではなく、自らの主張を言論によって行い得るこの権利こそ、まさに、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であろう。そして、過去幾多の試錬に堪へて守りぬかれたこの権利を、わたしたちは後の世に引き継がなければならない。
舛添知事にまつわるさまざまな報道は些事に過ぎない。
三たび巡りきた機会を最大限に生かし、宇都宮健児氏の元に結集し、あるべき都政を都民が手にするため、一致団結しよう!
私が東京を変える
代表
山口あずさ ا
今度こそ宇都宮ケンジさんの都知事を実現させよう!
宇都宮健児さんを都知事になって頂きたいです。
都知事選挙後、地道に活動を続けているのは宇都宮健児さんだけです。
都民も、いい加減に選挙は人気投票ではない事に気付いてほしいです。
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