都知事選を共にたたかった皆様へ

都知事選を共にたたかった皆様へ(西 紘洋)

1.選挙結果

・投票率46.14%(前回62.60%)
・舛添211万(287万)―自民支持層の67%+公明支持層の83%+その他
宇都宮98万(133万)―共産支持層の84%+社民支持層の72%+その他
細川96万(130万) ―民主支持層の45%+その他
田母神61万(82万)   
*各( )内は、投票率が前回並みの場合

・年代別投票先  20代 30代 40代 50代 60代 70以上
舛添     36  38  40  44  47  55%
田母神    24  17  14  11   7   6
宇都宮    19  21  18  20  22  20
細川     11  15  21  21  23  18 
*朝日調べ

2.選挙戦の状況

①昨年末の名護市長選に危機感を抱いた自民・公明・財界陣営は、自民党を除名された舛添当選に総力を挙げた。

②マスコミ知名度で大きな差のある宇都宮陣営は、東京を庶民の手に取り戻すべく、広範な層が共同して草の根の選挙が戦われた。

③総理経験者2名という豪華顔ぶれの細川陣営は、手足となる層も薄く、看板のワンイシューのみで戦った。

④維新の会代表の石原の応援を得た田母神陣営は、自衛隊の政治的市民権拡充のため総力を挙げた。

⑤低投票率要因の一つに、告示前に1度も公開討論が行われず、告示後も論戦が低調であったことで争点が都民の中に深まって行かなかったことがある。

⑥テレビ、新聞、週刊誌等のマスコミの取り上げ方も、大物政治家の動静を興味本位に伝えるだけで、問題の本質に迫るものは皆無に近かった。

3.政治的意味

①「東京を世界一の都市に」という舛添の勝利は、安倍政権暴走の流れと一体のものであり、石原・猪瀬都政を受け継いで、都民に背を向けた都政とならざるを得ない。猪瀬に騙された都民は、またまた舛添に騙されることになる。

②「原発ゼロ」しか語れなかった細川・小泉連合は、所詮、原発でも本気で推進勢力と闘う気はなく、また戦えるはずもない。まして「福祉は誰がやっても同じ」とする彼らに、都政を都民の立場で運営する理念も能力もない。結局彼らがこの選挙戦に持ち込んだものは、地道な原発運動に分裂を持ち込み、結果として舛添勝利に貢献したことになる。(政治家が政治を動かすと信じ込んでいる彼らに、民主政治を動かす本当の力がどこにあるかを理解する能力はない)。

③細川出馬報道以来、宇都宮との一本化問題が最後までくすぶった。確かに一般市民からすれば一本化は当然の要求である。細川に原発を除く他の政策に、都民の立場に立った明確な政策があればその道はあり得たかもしれない。しかし結局最後まで彼は原発も含めて無策であった。「俺についてこい」式の政治は、民主主義社会にはなじまない。無策である以上、「脱原発に命を懸ける」と言うなら、彼は宇都宮に道を譲り応援に回るべきであった。

④61万の田母神票は今後侮れないし、侮るわけにはいかない。特に若年層での支持が高いことは、日本社会の偏屈的危険兆候を示しており、安倍の軍国主義化への動きと併せて今後注視する必要がある。

⑤宇都宮が細川を2万票上回って98万を獲得したことは、庶民に視点を置いた政策が広範な市民に浸透した結果であり、また42年間の粘り強い弁護士活動の成果でもあった。

4.民主主義視点からの評価

①大雪の影響があったとはいえ、投票率が50%を割り込んだことは民度の低調さにも大きな問題がある。

②その遠因としては、憲法や原発、暮らしの問題についての政治的問題が日常的に茶の間や市民の中で会話し、議論する慣習が確立されていないことがある。(たとえば国政でも地方政治でも毎回の投票率が80%を超えるデンマークでは、国民と政治との距離が接近していて、マスコミなども常に国民的議論を促しているという。また脱原発を宣言したドイツでは、戦争責任問題と環境問題での深い国民的議論が繰り返されてきた)。

③今回もマスコミの劣化は目を覆うばかりである。★原発の議論をシャットアウトしたNHK。★小泉・細川劇場に視点を誘導する解説番組、等々。
2月10日付朝日「時時刻刻」では、今回の小泉分析に1ページを割いている。曰く、「ワンイシュー空転、原発なじまず、薄れた新鮮味」。すべて週刊誌的視点である。そして「政権 再稼働に弾み」とすり寄りに余念がない。

④名護の市長選では「500億の札束」が象徴するように、自民党は権力と金力を総動員して戦って、敗北した。都知事選の裏事情はまだ詳らかではないが、10基の原発再稼働を控えて今後予定されている山口、石川、福島、愛媛の各知事選に対する政権司令塔の体制は想像に難くない。

5.今後の私たちの課題

①その第一義的課題は、選挙戦そのものよりも日常的に暮らしの中に民主主義を確立することである。国であれ地方であれ議員と市民との関係は「委託」ではなく、「付託」であって全権委任ではない。したがって議員および政党は市民の民意を十分に把握して議会に臨まなければならないし、また市民はそれらの監視を常時行う必要がある。その監視役は、市民であり市民運動である。

②市民運動のもう一つの側面は、市民間の会話と議論の活発化を進めることであり、そのことを通して民主的な世論を形成していくことである。
政治的課題だけが市民運動ではない。文化、スポーツ、音楽等々、多種多様なサークル活動を含めて、市民運動であり、それらが重層的にそれぞれの主張を重ね合わせて形成していく総体が、市民運動と言える。

③自由闊達な議論の形成、――ここにこそ民主主義を育成していく基盤がある。
政治性に距離を置く議論、「無色透明」という政治的立場を了とするスタンス、これらは発想の自由度を奪い、民主主義形成を阻害する要因となる。

④上記3点は、取りも直さず日本国憲法を日常に活かすことそのものでもある。戦後70年近く、政治の世界では自民党政権がこの国を支配し、この国の暮らしと民主主義を恣(ほしいまま)にしてきた。そのなれの果てが安倍自民党政権と言える。その結果現実の世界では、世界に誇るべき日本国憲法は無残な姿でさらされることとなった。私たちがこれを実質的に取り戻すためには、憲法の内容を暮らしの一つ一つの場面で生かしてゆくたたかいから始めねばならない。

⑤最後に、これまで長年にわたってあたかも庶民という仮面と、さらにその裏に宗教という二重の仮面をつけて市民や信者を欺き、自民党政権を支え続けてきた公明党批判を見逃すわけにはいかないことを付記しておく。

2014年2月10日
                      下保谷  西 紘 洋

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